くっせぇといいにおい。

先日朝の通勤途中のすれ違いざま、小学生のグループに「香水くっせぇ〜」と叫ばれた。
あ、そうですか・・・けっこうお気に入り香りだったんだけどね。


その2日後、同じ香水を会社の同僚(年下男:もうすぐ結婚)に褒められる
いや、嬉しいよ・・・。


でも恋愛アンテナ圏外の人ににおいを褒められると
正直なんかちょっとキモイのです。
ごめん、女心は複雑なんですよ…。

世界に向かって何ができるか

そういうことを考えていたらしい、団塊世代のひとたち。
当時は世界が広くて狭かったのかな。


今じゃ自らで体感しなくても
地球の裏側の情報は一瞬にして手に入る。
テレビを見れば自分とよく似た境遇の人が私の代わりに感動してくれる。


世界は狭くなって、なんでも知っている「ふり」をした若者が増えた。
何年もかけて勉強をした人の知識を借りて
ちょっとだけズルをすることを知っている人がお金儲けできたりしちゃう。


楽しい、気持ちいい、痛い、悲しいは自分で感覚を持って感じ取らなきゃダメなんだよね。
最終的には不感症。まぁ自分もだけど。

つごうのいいことば

発した本人は忘れてしまっているか消化してしまっているということばでも
いただいた方にとっては古傷は深いほど忘れにくいもので
だからこそ都合よく、「はいそれまで!」と普通の関係には戻れないものだと思う。


私は自分の受けている、感じていることにできるだけ素直にいたいし、いようと思う
たとえそれがすべての人と真逆の道を歩むことになったとしても。


時にことばは一瞬ですべてを失う。

現代ではお金のない人が肉を食べ、お金のある人が魚を食べる

東京築地にある、魚屋さんのご主人のことば。


ちょっと体調を悪くして、食に気を使うようになってわかったけど
簡単にお腹を満たすためのファミレスやらコンビニやらには
魚を使ったメニューが少ない気がするね。
魚は調理だけでなく、保存管理も繊細な食材だからこそなのかも。


あ〜おいしい魚が食べたくなってきた。

ことばの一人歩き

自分のことばが旅に出て
めぐりめぐってとんでもないところで発見されるという事態に愕然となる。


後味が悪いのは
判断を誤って話してしまった自分も、それを誰かに話してしまった相手も
少なからず傷つくこと。

ことばの弊害

話すことばが違う、と思ったら会話は成立しないもので
相手はカーブだしこっちはストレートたまにナックルだしで
会話がまったく通じない・・・


仕事のダメだしなんかはストレートで言ってくれんと
いちいち裏を取らねばならんので面倒だ。

形にはまってそつなく隙なく定時退社

形にはまってそつなく隙なく定時退社が働くということ?
無駄なネットサーフィンにだらだら会議、1時間に1回のタバコ休憩・・・
時短は仕事の手を抜くことではなくて、時間ロスを見直すことのように感じます。